南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 寄り合い

minami-no-neko2007-05-20


 息子が生まれてしばらくしてからのこと。孫を見せたいお義母さまが自宅に友達を呼んでお昼ご飯パーティー。主賓の生まれて間もない息子と、付属の父母も出席。昼ご飯とはいえディナーパーティーとしても立派に通用するお義母さまのごちそうがテーブルに並んで、いざ「いただきます」の時に、それまで大人しくねころんでいた息子がむずかりだすのは、必須のなりゆき……ま、泣く子には勝てませんので、お乳をあげて、ついでにオムツ替えして、あやして、落ち着いてうとうとするまで、母の仕事が続きます。皆様はとうに食事を終え、かわいいわねぇ、と、息子の寝顔を眺めたり、静かにお話を楽しんだり。暖め直したお皿のごちそうをいただいている私にも、「大変よね、お母さんは」「でも、そのうち楽になるからね」とねぎらいの言葉が降り注いできます。そんな中で、お義父さまの昔からのお友達のおじさまが横の椅子に腰掛け、まっすぐに私の目を見ておっしゃいました。
"As a mother, you'll have lots of cold meal like that."
 ああ、そうだよな、と、すんなり言葉が頭に入りました。別に嫌みとか意地悪とかではなく、単なる事実です。お母さん業というのは、始めたが最後、一生続く仕事です。子供が成長するにつれて、実際に手を貸す機会は少なくはなりますが、それでもいつでもどこでもon dutyです。と、いったような意味をこの一言で諭されたような気がしました。
 でも、仕事には息抜きが必要です。幼稚園や学校に子供が行きだせば、お母さん業off dutyの時間がまとまってとれるようになれます*1が、一人でもくもくと仕事をするのは、骨が折れます。大家族が同じ屋根の下に暮らしている場合、仕事も共同分担してバラエティーに富ませることもできますが、小家族で、しかも両親親族から遠い土地で暮らしている母親が多いのが、現代社会。血のつながりにあまり頼れない(頼っている人でもいいのですが)のなら、同じ境遇の者同士、寄り集まって時を過ごしましょう、と、企画してくれるのが、地元の共同体、local community。
 私が子供の頃は、地元の子供会とか自治会は神社に集まってましたが、ニュージーランドの場合、教会を基盤にしたところが多いです。娘がお世話になっているプレー・グループも教会の敷地にかなりの面積を使わせてもらって、屋内も庭も遊具でいっぱいです。子供が砂まみれ、絵の具まみれになって遊んでも、気にならないのはもちろん。大切なのは、オーブンから直行、焼きたてのスコーンと熱いお茶を片手にゆったりお話できる、お母さん方の時間。けがしないように*2、けんかしないように、と、注意はしなければなりませんが、ちょっとぐらい目の届かない所に自分の子供が行っても、安心な場所です。
 政府からの補助金とちょっとばかりの参加者の募金で有志が運営しているこのプレー・グループ。午前中たっぷり遊んで、閉会間際はみんなで片づけをします。それぞれ分担の場所カードをもらったお母さんがたが、まだ遊びたい子供たちをなだめすかし、時にはうまく手伝わせながら、遊具を片づけ、掃除をして、さようなら。それは、人一番片付けに頑張るお母さんもいれば、さぼりたくていい加減なお母さんもいます。ぴかぴかすっきりの部屋の時もあれば、まだすみに埃とおもちゃが転がっていたりする時もありますが、それも愛嬌。
 仲良くなった子供たちのお母さんが、順番で片方がプレー・グループの子供目付役、片方がちょっとおでかけ、なんてこともできます。参加したことはありませんが、映画鑑賞の夜、とか、デザート料理の夜、なんていう企画も時々あります。
 別に、普通に喫茶店やレストランに子連れで行くなと言いたいわけではありませんが、むづがる子供を店内であやすよりも、こういった場所にどんどん参加した方が、子供にとってはもちろん、親にとっても本当にゆったりできるのではないかな、と、「場を一緒に作るって感覚がないんだろうな」を読んで、なんとなく思った次第。

*1:ま、この時間も学校の雑事のフォローとか家事とか、主婦(home makerという肩書きもあるそうで)の仕事はつきませんが

*2:安全な物しかおいてませんが、それでもぶつかったりころんだりできてしまうのが子供。