南の猫の里帰り雑記

29年ぶりに帰国して3年日本にいたけどNZに里帰り

父母の思い出

お墓参りの代わりとは言ってはなんですが。

父は昭和一桁の真面目な人でした。勤めていたカメラ工場の移転に伴い、埼玉に引っ越して以来、二十数年、自転車通勤で会社を勤め上げました。皆勤賞を何度も送られました。積極的に地元の自治会や子供会に参加。子供のソフトボールのチームが設立されると、コーチをしてくれました。運動音痴の私でさえ、試合にでたほどなので、チームはたいしたことはありませんでしたが、父はそのまま長年チームの面倒を見、試合の審判の資格までとりました。近所の方と、これまた、近所のスナックでの飲み会、歌会も皆勤賞ではなかったでしょうか。最後となってしまったお寿司屋さんでのお昼も、もちろん、酒込み。私はその後、成田空港行き、飛行機で寝るだけだったので、もちろんご相伴。昼間っから、生酒などいただきました。「じゃ、がんばれよ。」と、地元の駅前で、ほんのり赤い顔をして、手を差し出した父。とても、暖かい手でした。

「初めてプロポーズされた時は、ことわっちゃったの。そうしたら、貯めてた結婚資金、会社の人を誘って、全部飲んじゃったんだって。」と、恨めしそうに母が話してくれた事がありました。かなり、潔い事もできる人でした。結婚式は、けっこう親類が集まって賑わって見えるので、どうにかやりくりできたみたいです。

母も昭和一桁。創作意欲満々の人で、いつも何か書いたり、描いたり、作ったり。自然の好きな人で、よく旅行もしてました。こちらにも何度も足を運んでくれました。気に入ってもらえるんじゃないかと思っていたのですが、やはり日本の自然の方がよいそうです。こちらの季節はめりはりがなく、大雑把すぎるとか。日本情緒大好き、草花大好きで、先月ようやくまとめ終わった俳句集も圧倒的に花の句が多いです。前には桜並木のあるどぶ川、隣は草ぼうぼうの空き地、後ろは薮、角を曲がれば田んぼが広がっていた、最初は結構田舎だった我が家周辺。ことに桜並木は気に入っていて、遊歩道を造る為に切り払われた時は非常にがっかりしていました。

「花に語る雀思わず花を喰ひ」*1
これは桜の事だと思います。

「寒月の銀ふんだんに畦の道」*2
田んぼも今では全部埋め立てられ、住宅、マンション、駐車場に変身。でも、小学生の時、こっそり歩いた畦道(靴が泥だらけになるので、すぐばれましたが)はいつまでも忘れられません。

階段の踊り場に飾ってある父母の写真。外出、帰宅の際、娘を抱いて、「ばあば、じいじ、いってきます。」「ただいま。」と、やっていました。階段を自分で上り下りするようになった娘。踊り場で止まると、写真を見上げ、「ばあば、じいじ。」とちょこっと頭を下げるようになりました。