南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 安楽死(Euthanasia)について

On 28 May 1999, Lesley Martin took her dying mother in her arms, pulled a pillow across her face and hugged her tightly until she stopped breathing. The Promise charts the controversy surrounding the events leading up to this incident, and days and weeks that followed, culminating with Martin standing trial for attempted murder.

1999年、五月二十八日、レズリー・マーティンは死の床にある母親を抱きかかえると、母の顔に枕をかぶせた。そして、母の呼吸が止まるまで、きつく抱きしめていた。ドキュメンタリー「約束(The Promise)」は、この日に至るまでの成り行きに関する論争、マーティンが立たされる殺人未遂の裁判と、その間の出来事を追って行く。
(訳 南の猫)

The Promise: The Lesley Martin Story (TVNZ)より 抜粋。

途中から見始めたので、しばらく流れがわかりませんでした。二人の息子を持つレズリーが、下の九才の息子に何とか事情を説明しようとしている所からでした。

しばらくしてわかったのは

  • お母さんは末期の癌で苦痛に苛まされていた事
  • モルヒネを過剰投与して、その苦痛を止めてあげた事
  • それは、お母さんの希望であった事
  • 警察は、最初は不起訴処分にした事

何故、裁判沙汰になったかと言うと、レズリーがことの顛末を本にしたからです。公にする前に、不起訴処分にしてくれた警官と弁護士に見せました。二人から、これを公にすれば、又、警察は調査を再開し、起訴処分は確定だと、警告されたにも関わらず、レズリーは本を出版しました。この裁判は、安楽死の是非を問うのではなく、レズリーの行為が法に違反しているかいないかを、判断するものだという裁判官の言葉の後、陪審員達は有罪の判決を下しました。

友達の言葉
「私は死ぬ時というのは神のご意思に任せるものだと思っている。でも、レズリーは大切な友達だ。心から愛している。だから、しっかり見守っていたいと思う。」

国際的に注目を集めていたこの事件は大学などで討論会なども催されました。オーストラリアから肯定派の活動家と、アメリカからは否定派の活動家が参加しました。討論の内容は番組内では詳しく報道されませんでした。会場外のカメラ群に対し、寡黙に「ノーコメント」と通す肯定派。対する否定派は、あからさまに肯定派を指差し、カメラに向かってにこやかに「この人間はあちこちで人の命を奪いまくってます。」と糾弾。何だか、人を指差すのが楽しくて仕方がないように見えてしまったのは、私の贔屓目でしょうか。

自分と家族とに、経済的に、精神的に、信じられないほどの負担をかけてまでどうして本を公開したのか、見ている間ずっと不思議でした。でも、番組一番最後のカットで納得しました(と思います)。レズリーは母の最後の様子を泣きじゃくりながら話していました。「どうして、子である自分がこんな風に手を下さなければならないのか。」

少しでも癌(癌だけに限りませんが)患者の看病に関わった人であれば、永遠とも思える苦痛と昏睡の毎日を送る患者とそれを見守る看護人の心情は想像するまでもないと思います。末期がんの苦痛の中で、患者に客観的な決断を求めるのは無理な事。看病に身も心も疲れきった身内の者に決断を求めるのは非情の極み。裁判で裁判官が仲裁するように、こういった場合にもしっかりと判断を下してくれる第三者が必要です。候補者は当然医者です。最後まで責任を持って患者への最善策を考えてくれる「知識」と「心」を備えた医者が増え、それを認められる社会が実現すればいい、と、切実に思います。

レズリーの判決は十五ヶ月でした。七ヶ月半後、彼女は釈放されました。彼女の本、「To Die Like a Dog 」はこちらでオーダーできます。