南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 新しい言葉、古い言葉

「彼、いましゅうかつしているらしいですよ」
 昨年、短いバイト期間に仲良くなった20代のワーホリお嬢さんの言葉。しゅうかつ、しゅうかつ、え〜と……おお、就職活動の略ね。
「てれかありますか?」
 てれか???すみません、何でしょう?と、日本人のお客さんに聞き返してしまったのは、インフォメーションセンターに勤めていた頃の話です。テレフォンカードですけど、と、けげんな顔をしておっしゃった若い日本人のお嬢さん。たとえばこれが英語で "Do you sell phone cards?"とくれば、即座に、ございますとも、と、答えられるのですが、日本人同士で英語の方が通じたかもというのはなんとも情けない話。

 結局20数年国を離れると、新語、流行語なるものにはすっかり疎くなってしまうわけです。wwwのおかげで今はこうして日本語のブログでリアルタイムで日本の方々とやりとりできるありがたい環境に浸れるようになったのですが、始めたばかりのころは「萌え」とか「おたく」とか言う言葉がでてくるたびに、はてなマークが頭からとびだしていた、非常におそまつな現代日本語状況でした。

 と、長い前置きを書き出したきっかけは、

SFのような未来小説の訳だと文体が古びてくるのは幾分の居心地の悪さを感じます。

古典的SFって、どう受け取ればいいんだ。

と、いうid:suikanさんのエントリーです。

 酔漢さんの言及されているSF本は、残念ながら訳本を読んでいないのでわかりませんが、大好きな「夏への扉」を思いかえしてみますと……原本はもちろんいつ読んでも楽しくて時間を忘れます。訳本のほうも同じく。とはいえ、「文化女中器」などはちょっと古めかしい響きをともなう気がします。原語のhired girlにしても、今使ったらどこかから非難抗議の手紙が送られてきそうです。家事を手伝ってくれる人はhouse-keeperが一般的で、お女中さん (hired girl) などと呼んだりしてはいけません。蛇足でいえば、wifeという言葉も家に拘束される意味があるとかで使うのを敬遠する人もいます。専業主婦だった時に、"What do you do?"とパーティーで聞かれて"I'm just a house-wife."と言ったところ、"Not just a house-wife. You are a home maker."と強く言われたことがあります。あなたのしていることを卑下してはいけませんよ、と、ばかりに、まじまじと眼を見つめられていただいた "home maker" というお言葉ですが、やっていることにかわりはないんだけどなぁ、と、思ってしまった私です。こういうのを気にする人ほど、実は偏見のかたまりだったりすることが多々あったりして……では、この home-maker を使う方は、hired girl のほうはどういう解釈をされるのでしょうか。聞いてみればよかった(爆。結局気になるのはその言葉が気になってしまうわだかまりの方ではないでしょうか。この古くなった女中という言葉の向こうがわを見渡せば、ハインラインほど女性の家事を楽にさせようとしたSF作家は古今東西、どこを捜してもいません。あなたの新発明にどうして皿洗いをさせないの、と、聞かれた主人公は、その女性にとくとくと皿洗いの手順のむずかしさを述べ上げ、できるはずだけど時間がなくてプログラムできていないと説明します。「まぁ、素敵。男の人で家事がわかってくれる人をようやく見つけたわ。いいわ、私がやってあげる」と、まんまとその女性に皿洗いをしてもらった主人公ではありますが、これは決して故意ではありません。

我輩は猫である
"I am a cat."

 手にとった英文和文が同時に読めるこの本で、大文豪夏目漱石の「我輩は猫である」の冒頭の一文を読んだときのあの違和感は、酔漢さんの居心地の悪さとはかなり違うでしょうが、翻訳の難しさを明確に示唆されたような気がしました。日本語の自分を称する代名詞の多さは外国人泣かせ*1です。この荘重なるわがはいという響きと、私もおれもおいらも一緒の"I" 。わたしは猫です。そんじょそこらにいる全く平々凡々の、一猫です。いやいや、わがはいは猫である。時代を超越して今もなお読み継がれる、酒をかっくらって太平を得た、かの有名な猫であるぞよ。

 では、時代背景、一般常識などなどまるで違う文化の結晶である一つの言語から、もう一つの言語へと翻すには……「両国の文化慣習に精通し、原作者と同じか、それ以上の文章力をもっている翻訳者*2」が必要です。翻訳術は日増しに磨かれているはず。英語環境もwwwにて充実。あとは、訳者の磨き込み次第、と、いうことで古びた文体はどんどん新訳していってもらいたいところですが、無理してナウい表現などもりこまずに、当時の荒削りだった、あるいは情報不足のため舌足らずになってしまった表現などを、より洗練してもらえれば、と、勝手ながら思ってます。

*1:のひとつ、と、言ったほうがよいですね。

*2:矢野徹大先生のお言葉