南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 娘、二歳

誕生日プレゼント


明日は娘の誕生日、なのでプレゼントを包みました。これは何でしょう?
正解は明日のお楽しみ。皆で早起きをして朝一番でお祝いを言う予定です。息子は包み紙をはがす手伝いをするので(あくまでも手伝いと何度も言い聞かせてます)、当人よりも興奮してます。

何だか、とてものんびりしながら、早く過ぎた二年でした。最初の息子の時は、緊張しっぱなしで、ついでに11ヶ月目からパートで職場復帰してしまったので、とてもせわしなかったです。母の入院生活などもあって、日本に何度か帰りました。飛行機に乗ったり、病院へ行ったり、義妹に遊んでもらったり、日本の公園で遊んだりと、それはそれで好い経験にはなったと思います。でも、いつも急かしてばかりで、余裕という物が全然ありませんでした。

何やかんやで、間がかなり開いてしまったし、こちらもいい歳だし、と、第二子は諦めかけた頃もありました。折よく鍼修行中の友達の実習セッションに参加する事になり、彼女の、体調向上、及びよい卵を作る為の治療を受けて、無事元気の塊の女子出産にいたりました。

二番目ってこんなに手のかからないものかしらと不思議になるくらい、丈夫で独立心の強い子です。お医者さんのお世話になったのは、息子のときの半分にもいきません。慎重派の息子は何をするにも遅めでしたが、一旦始めるとほとんど完璧。歩き始めた時はしっかりした足取りでほとんど転んだ事がありませんでした。話始めた時も、言葉ははっきり、意味もはっきりで(もちろん単語単発からですが)、日本でもこちらでも感心されていました。まるきり反対の行動派の娘は、かすり傷と青あざが絶えません。おすわりからたっち、歩き出すまでの期間がものすごく短く、歩くというより前のめりで倒れる所を一歩出してささえ、それに勢いがついての前進でした。どこかのロボット開発で、どうしても歩行がうまく行かず、考えた末、わざとバランスをくずして前に倒れるようにし、そこへ足を出して支えるようにした所、うまく歩けるようになったとの話を聞きました。娘はまさにその見本です。娘がとことこと移動していると、回りのお母さん方ははらはらのしどうしで、見ていられないと目をそむけていたものです。話も、一生懸命会話に加わろうとするのですが、主人と私は顔を見合わせ、お互いに今のはどちらの言葉だろうと頭をひねっていました。今でも、一人でおもちゃなどと話している時は、自分の言語を開発しているようです。

羊水に緩和されて聞こえる外界の音と落ち着きのない母親の身体の動きに身をゆだねてぬくぬくしていた所を、いきなり五感につきささる刺激の世界に放り出されて二年間。しっかり刺激を吸収して、データ変換、自分の行動としてアウトプットできるようになりました。「だっこ」と両腕を精一杯広げて駆け寄る娘。料理がこげるのですが、抗えません。