南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 "Mostly Harmless" 究極の質問でるか?および、シリーズのまとめ

ほとんど無害 (河出文庫)

ほとんど無害 (河出文庫)

Mostly Harmless (The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy)

Mostly Harmless (The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy)

 多次元宇宙と家族問題がからんだこの一編は、このシリーズの中で、一番まともなSFでした。そして、一番インパクトの薄い一編でした(爆。

 第一章にして地球が壊滅してしまう、三部作の第一話「銀河ヒッチハイクガイド」実は宇宙人で、宇宙船のヒッチハイクを生業としていた親友とともに、からくも地球壊滅を逃れるは、主人公(?)のまじめなイギリス人、アーサー・デント。全然まじめではない二つ頭の宇宙大統領が操る、宇宙にまだ一つしか存在しない無限不可能性ドライブを積んだ宇宙船での冒険は、不可能性を拾って次から次へととんでもない設定ととんでもない登場人物*1を渡りあるきます。

 三部作の第二話「宇宙の果てのレストラン」は、メンバーが離れては合流し、全宇宙にまたがって不可能性を極めていきます。一番好きなシーンは、鬱病ロボットマービンが素手で、過剰武装ロボットに勇敢にたちむかっていくシーン。知は力なり。鬱は武器なり。それと、ここにでてくる神様は本当に安心できます。

 三部作の第三話「宇宙クリケット大戦争」は、主人公アーサー・デントが主人公らしく大活躍。イギリス人らしくクリケットで勝負し、アーサーらしく、こけて宇宙を救います。

 三部作の第四話「さようなら、いままで魚をありがとう」は、優しいイルカに救われた、救われない人類の中に里帰りして、とまどうアーサー・デント。ヒッチハイクした車の中の気を失っている女の子に一目惚れして、不可能性ドライブの宇宙船がないにも関わらず、不可能性設定をクリアして、めでたくロマンス成立。

 三部作の第五話「ほとんど無害」は、第四話のハッピーエンドをあえなくくつがえして、かわいそうなアーサーは又、放浪の身です。知らない間に父親になって、見も知らぬティーンエイジャーの娘をいきなり、家に迎え入れるあたりは、不可能性設定の伝統を踏襲しているかもしれませんが、なんだか現代ではよくありそうな問題のような気も……


 と、まとめてみましたが、結局、質問はわかりません。個人的な結論は、一話と二話なら、何度でも読んで笑えます。

 最後に"Mostly Harmless (The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy)"より抜粋。

The reason they (parallel universes) are not universes is that any given universe is not actually a thing as such, but is just a way of looking at what is technically known as the WSOGMM, or Whole Sort of General Mish Mash. The Whole Sort of General Mish Mash doesn't actually exist either, but is just the sum total of all the different ways there would be of looking at it if it did.

素粒子論と出しても通じそうな気がします。点は波で、波は点で、無から有が生じて、1+1が1になったり、4になったり……

Protect me from knowing what I don't need to know. Protect me from even knowing that there are things to know that I don't know. Protect me from knowing that I decided not to know about the things that I decided not to know about. Amen.

 これは実行している人がたくさんいると思います。

*1:でも、これがなんとなく、身のまわりにいる人物とだぶってくるから、おかしい……