南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 アシモフの科学エッセイ 九巻目

 科学とは過程なのだ。それは考え方のすじみちであり、問題に取り組み、場合によっては解決することもできる方法であり、乱雑で混沌とした観察から秩序と認識を引きだすことのできる方式である。これを通じて我々は、拘束力があって、すべてが符合する傾向の強い、有用な結論や結果を獲得する。これらの科学的な結論は、一般に”真理”への妥当な接近ーーあとから修正を加えるべき対象ーーと見られている。
 科学は絶対の真理を約束はしないし、そういうものが必ず存在すると考えてもいない。宇宙のすべてが科学的な解析にかかると約束さえしないのである。

「はじめに」より抜粋

 炭素生物から硅素*1生物への移行がどれだけスムーズに自然にできそうなことかを説明し、黄金分割*2という美しい言葉を紹介し、最後に「夜の軍隊」に対する痛烈な宣戦布告をしてこの本は章をおわらせます。

 科学について何も知らない多くの人々は、進化の理論を”理論にすぎない”ときめつける。
(中略)
 このため十四歳の子供から手紙をもらうことになったのだが、その子は、理論とは”当て推量”にすぎないし、そのことは先生*3が教えてくれたから知っているというのだった。それから、ひどい言葉で進化の理論を否定し、自分は学校でお祈りをするが、それはどんな法律もそれを禁止することはできないからだ、と誇らしげに書いていた。そして、この問題についての返事がほしいといって、切手を貼り自分の宛名を書いた封筒が同封してあった。
 相手の願いを入れるのが当然と思った。先生も君と同じように科学について無知である可能性を真剣に考えてみなさいという一文を、一気に書き上げた。同時に、次にお祈りするときには、神様が教育を与えてくださるようにお願いして、死ぬまで無知のままに終わらないようにしなさいとも書いた。

 進化論を信じないなんて信じられないけれど、これも一つの事実と容認して対処しないといけないのですね。

*1:おや、シリコンって硅素のことだったのね、と、ここでまた無知ものの驚き。

*2:残念ながら、この数学の章は日本語でもラテン語でもおなじ結果だろうと思えるくらい、つかみどころのない理解不可能な章でしたが。数学を勉強したら、そのうちこの言葉にもたどりつくのだろうか。

*3:!!!