南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 筒に星と松つめて……20-30年前の読書歴

幻想の未来 (角川文庫 緑 305-1)

幻想の未来 (角川文庫 緑 305-1)

たぶん新聞で連載されていた「IFの世界」だったと思いますが、人類が死に絶えた地球にぽつりんと咲く一輪の花とそこを訪れた異星人の石の静かなる会話といった紹介をされていたこの短編「幻想の未来」幻想というものしずかなうつくしい響き、花と石の対話、思わずブラッドベリーの叙情短編を思わせるような設定に、これはぜひとも読まねばと勇んで図書館から借りてきたのですが……たしかにこの紹介されたシーンは美しかったです。が、そこにたどりつくまでのすさまじいことと言ったら……すっかり夢中になりましたw この短編集に入っていたかどうかは定かではないのですが、きまじめなエリート青年がきまじめに思い詰めて童貞喪失を計画・実行する短編なんてもう爆笑しすぎておなかいたい*1……SFとは全然関係なかったですが。長編「48億の妄想」などもさすがとうなりましたが、私の中の筒井節はあくまでざくざくと出刃包丁で切られるような短編ブラックユーモアです。

ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

中学校三年生のときに国語の先生が星新一傑作選という本を朗読してくれました。教員室まで押し掛けて先生からその本をかりて読みふけりました。いまでもかなりに数の文庫本か自宅にあります。短編よりもさらに短いショートショート。余分な言葉を削りに削って仕上げられた、数ページで終わってしまうエヌ氏の挙動の一こま一こまが鮮やかに頭に焼き付けられます。筒井節ブラックはあまりにもブラックで、ああいるよねああいう人、でも私はあそこまではいかないよね、と、一線ひいてぞくりとしながら読めます*2が、星的ショートショートはさらりとシーンを見せられたあとで、実はあなたも同罪ですよ、ほらほら、と、人の常なる性をその場でひねり出されるような怖さがあります。「ぼっこちゃん」にしろ「おーい、ででこーい」にしろ、あのあとどうしてくれるんですか、わたしたちはどうなるんですか、と、か細い声でお伺いをたてたくなります。って、いうのはかんがえすぎかなぁ……魔法のランプを拾ったこちこちの科学者の話は素直に笑え……ないなぁ……現在、東洋医学を異端ないかさまと断定したり、進化論を教科書から排除するひとたちって、結局あの科学者と同じことをしているわけですから。

復活の日 (角川文庫 緑 308-9)

復活の日 (角川文庫 緑 308-9)

実は「日本沈没」読んでません。すみません。中学校三年生のときにまわりが騒いでましたが、騒がれるものにはちかづきたくないあまのじゃくはもうすっかり定着していましたので、食指が動きませんでした。短編集ばかり、図書館で眼につく端から読んでました。当時はアシモフ・クラーク・ハインラインのSF王道まっしぐら(誰もまわりでは騒いでいなかったし)でした。小松左京は日本のアジモフだ、と、勝手に断定して短編に酔っていました。かなり後になってから映画版の「復活の日」を観て、かなり感動し*3、たぶん長編初挑戦。これはよかったです。いまでもマイベストの中に入ってます。原作の方が好きです。

ということで、「日本沈没」読んだほうがいいのでしょうか。筒井康隆の「日本以外全部沈没」を先に読んでしまったのは大失敗かもしれません。

*1:あ、これを読んだのはたぶん社会人になってから。

*2:知らぬが花で、実体は、という無意識的実感はありますけど。

*3:草刈正雄はけっこう好きでした。