南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 サンタさん考

 猫の母は童話なども書いてしまう夢多き人でしたので、子供たちにもサンタさんを信じてもらいたいと、一生懸命努力していました。プレゼントにはいつも手下による代筆でサンタさんからのメッセージが書いてありました。私はいい加減な性格ですので、いるのかな、いないのかな、と、証拠不十分判決未定のまま何年も過ごしていました。たぶん、中学生の頃だったと思いますが、クリスマス・プレゼントだった時計をなくしてしまいました。なくしもの、おとしものは得意です、いまだに。
猫:「学校の水飲み場で時計をなくしちゃった、ごめんなさい」
母:「あら〜、あれ、見つけるの大変だったのよ」
猫:「あれ?あの時計はクリスマスにもらったんだよ」
母:「あら?そうだった?」
 結局、手下の自白でしかけは暴露されたのでありました。翌年から、メッセージは母と父からに変ったかもしれませんし、年下の弟のためにもう少しサンタさんからのメッセージが続いていたかもしれません。あ〜、あやふや。
 義母もサンタさんを信じてもらいたいと熱心です。主人が子供の頃は、朝早く、プレゼントの三輪車を芝生の上にころがして露の上に跡をつけ、言われて庭に出た主人が眼をまるくして感心したのを見て楽しんだとか。あなたもそうしてね、と、いう義母に、うちの子供たちはもっと現実的でクールに育てたいぞ、と、主人。でも、結局、サンタさんとトナカイさんへの貢ぎ物は続いています。手下たちはクリスマス・イヴの夜は隠しておいたプレゼントの包装で大忙し。これはサンタさんから、これは父母から、と、プレゼントの選り分けも大切です。最後に貢ぎ物をいただくのも忘れずに。
 さて、肝心の子供たちはといいますと、娘は初めての意識的なクリスマスではありますが、プレゼントがどこから来ようが誰から来ようがおかまいなし。「クリスマスっていうのは、プレゼントとケーキの日だと思っていたよ。それが、昔に死んでしまった男の誕生日だと知った時には驚いたね」とは、日本のある漫画の登場人物の台詞であります。あたらずとも遠からずの娘の心境かと。来年はもう少し訳がわかるようになると思います。
 こちらは、息子の言。
"My friends don't think Santa is real. But, I'd like to believe that he's there."
「ともだちはサンタはいないって言っているけど、ぼくはいると信じたいな」
 ほどよく、クールで現実的であります。