南の猫の新西蘭雑記

日本も結構好きなのですが、根っこがこっちに深いです。

 1998年のオークランド大停電

"1998 Auckland power crisis" (Whikipedia)

"No power in New Zealand's largest city" (World Socialist Web Site 26 Feb 98)

"Privatisation to proceed despite blackout" (World Socialist Web Site 23 Apr 98)

この時は非常に大変でした。市内のまん中にあるオークランド・インフォーメーション・センターで仕事をしていたのですが、とにかく最初は仕事になりませんでした。停電初日は事務所を早めに閉めたような気がします。幸いなことにドアは原始的な普通の南京錠を使っていましたので、戸締まりは万全(自動ドアを手で動かすのはちょっと骨でしたが)。

インフォーメーション・センターというと市内案内所という感がありますが、本職は国内完全旅行手配です。ニュージーランド観光局がゆる〜いネットワークで全国のインフォーメーション・センターを結び、国内旅行でしたら、どこからでもどこへ行くのも手配できるようになっているはずです。オークランドは玄関都市ですので、全国各地手配の手腕が必要です。交通機関はもとより、お宿にアトラクション、なんでも予約します。

普段でしたら、はい、お名前は?いつどこへご出発で?とちょっとメモをした後は、かたかたとコンピューターで、予約発券、お支払いと、すべて指先一つで解決(飛行機の切符は手書きでしたが)。電気がおちますと、メモの後は、電話。いついつが空いてまして、お値段がこれこれで、時間はこうこうで、と、間にたって交渉。折り合いがつきますと、予約成立、予約番号もろもろのメモ。それを今度は、手書き用の切符にしこしこと書き写し。そして、ぴこぴこと計算機で総計を出します。クレジットカードでお支払いの場合は、金庫の底から引っ張り出した、ガッチンコ(名前知りません)で昔懐かしのカーボン紙何枚かが重なったフォームにカード番号をもらいます。ここで又、しこしこと詳細を手書きし、クレジットカード会社に電話。オーソリゼーションナンバーなるものをもらって、ようやくありがとうございました。現金決済ですと、コンピューターに頼っていたおつり計算も自分でしなければならず、思いの他、頭とペンを使った数日でした。

一応緊急用施設のひとつと見なされていたらしく、貴重な電力の一部を回してもらえるようになり、文明生活にもどれたものの、その頃にはオークランドに寄り付く旅行者はほとんどいず、困った市民の訪問や電話問い合わせの応対に明け暮れていました。

結局、一週間が二週間、二週間が四週間と、電力を取り戻すまでに六週間ほどかかり、ビジネスの損害は膨大なものに。それでも、補償の対象になった所は幸いでした。ビルの一室を賃借りしていた中小業者は保険も補償ももらえずに、たくさんの人が破産したと聞きます。

でも、当時を思い出すと、パニックやヒステリーの人には全然会いませんでした。電話で「復旧の見通しくらいどうしてわからないの」となじられた事はありましたが、結局は「お互い様で。がんばりましょう」と終わったように思います。公にしても個人レベルにしても、古い物をだましだまし使うのには慣れているのでしょうか。車や家なども、皆よく自分で直しつつ、使ってます。

とにかく、今回はそこまで大騒動にならなくて、ほっとしているのは私だけではないでしょう。